【13号】昭和48年1月発行 〜 【24号】昭和50年2月発行 |
|
|
|
13号 昭和48年 1月発行 |
14号 昭和48年 3月発行 |
15号 昭和48年 5月発行 |
北九州で初の開催となったSC協会対抗戦に9協会76名の選手が参加。注目すべき点として競技はもとより、計測にあたった北九州協会の若手会員の機敏な動作でいつもより二時間も早く競技が進行したと特筆されていた。 |
日本一のカレイ釣り場として表紙を飾ったのは金沢市の栗ケ崎埋立地。ちなみにこの年、増え続ける会員に要する事務作業の増大により、全日本サーフの事務所を設ける案が検討されている。今から思うと隔世の感がある。他にも、同年に全日本サーフハンドブックが発行されている。 |
西宮市の鳴尾埋立地で開催されたSC全日本選手権に史上空前、174名の実参加者があり、日暮れまで競技が続いたと紹介されている。釣りと違いSCは余り多くの参加者が居ても困る。その点現在の参加数は適数で助かる? |
|
|
|
16号 昭和48年 7月発行 |
17号 昭和48年 11月発行 |
18号 昭和48年 12月発行 |
日本記録35.4センチのキスを手に持つ、兵庫協会 阪神サーフの広井貴治さん。このキスは全日本キスの翌日釣れたそうです。(当時も、一日早く釣っていれば!と冷やかされたことと思います) |
山口県光市の虹ケ浜で開催された第5回クラブ対抗キス。写真は上位を独占した山口協会のメンバー。同年「海をきれいにする運動」のシンボルマークが制定された。現在のクリーンアッププロジェクトの草分けだ。一方訃報として創刊号の表紙を飾った広島協会・野瀬 昭さんが37歳の若さで病没されたと掲載されていた。 |
日本記録95.4センチのマダイを持つ物井岡山協会長(当時)。また、この号の巻頭言には石油危機が深刻になり、日曜・祝日のガソリンスタンド一斉休業のニュースに、近い将来は走行まで禁止される事態になりはしないかと世相を憂うる内容だった。現在の高速道路の通行料原則無料化は燃料の消費に繋がる。歴史は繰り返すと言うが、エコ対策を急がねば! |
|
|
|
19号 昭和49年 4月発行 |
20号 昭和49年 6月発行 |
21号 昭和49年 10月発行 |
創立10周年の式典前に開催された新年総会の一コマ。(この号から会報は70円から100円になる)。ちなみにこの年の会員数は7618名、大物申請18,864件であったが、34年後の08年度では会員数こそ半減した3615名だが、大物申請は24,277件と5,000件以上増えている。当時の累積制度などで単純比較はできないが、申請数のアップには釣具の進化以外に様々な進歩が見て取れる。 |
全日本サーフ創立10周年を記念しておこなわれたサイパンフィッシングツァー。大きく竿を曲げてファイトしているのは小西連盟会長(当時)。 |
神戸の海釣り公園での風景。当時5億円を投じて完成させたとのことだが完成時は細かい規制で不評だったとのこと。したがって全日本サーフは神戸市に規制緩和とともに、釣り人の意見も取り入れてもらうべき掛け合った。その結果少しは改善されたとのこと。 |
|
|
|
22号 昭和49年 11月発行 |
23号 昭和49年 12月発行 |
24号 昭和50年 2月発行 |
高知県の田野・安田の二会場で開催された第5回クラブ対抗キス。最高の参加者に恵まれたが、うねりと水潮の影響で、釣果は最低だったとのこと。表紙の写真はキスの数釣り競技らしからぬ置き竿がメイン?と見間違う光景に、現在と違う対抗キスの様子が良く分り、興味深い。写真は田野海岸。 |
冬に大型のイシモチが釣れる南紀古座川尻での風景。釣り人の背中と初冬の夜明けに、釣り独特のロマンを感じさせる表紙だ。この年の年末拡大理事会(現・年末総会)で全キス、カレイの入賞を参加者の20%にするよう提案されている。また、翌年の全キスから、ベラ(現名称・キュウセン)を他魚の部から本賞の部に格上げしている。 |
新たなカレイ釣り場としてクローズアップされた新潟県柏崎の防波堤。正面にそびえるのは日本三百名山の一つ米山(標高993メートル)。この年から海防委員会(現、事故防止部)が設置された。ちなみに前年の会員数は8,016名であり、収支の発表では編集部以外は黒字であったと創立11年目の総会で報告されている。 |